前回に引き続き、何となく仏教系のお話。
『拈華微笑(ねんげみしょう)』って言葉をご存じですか・・・?以前『不立文字(ふりゅうもんじ)』でお伝えしたのと意味は似たようなものです。言葉を介さなくてもお互いの意思疎通(いしそつう)ができるということ・・他にも似たような言葉で「以心伝心(いしんでんしん)」というのもあります。直接心から心へ伝わるということでしょうか。
この拈華微笑の由来の故事(こじ=古いお話)ですが、ある日お釈迦(しゃか)さんが弟子たちの前で、黙(だま)って蓮(はす)の花をひねってみせたところ(ひねったのではなく、ただ花を掲げただけとも・・)、弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を理解して微笑(ほほえ)んだので、お釈迦さんは彼だけに真理(大切なこと・奥義おうぎ?)を授けたというお話なんです。この故事からこの言葉が生まれました。「拈華微笑」を直訳すれば、華(はな)を拈(ひね)って微笑むですから。
摩訶迦葉(まかかしょう)は、数え切れないほどいる弟子の中で、唯一(ゆいいつ)真理が解った人。言葉は必要ない。ホント、この人天才です。だって、華を拈っただけでピンとひらめいちゃうのだから。そんな優秀な弟子に奥義を伝える、一般的にはよくある話です。何せ、昔のことですので真偽(しんぎ)はどうであれ・・・このような感じで伝わっています。
ところがある人から、これとは違う話を聞きました。実はこの時(拈華微笑の時)、お釈迦さんのほうが、本当に悟(さと)った(=真理を理解した)のだと。悟っていたのは、むしろ弟子といわれていた摩訶迦葉のほうで、お釈迦さんはこの蓮の花を拈ったことで、迦葉に、自分がすべてを理解したことを伝えたのです。それを見た迦葉は「釈迦よ、おまえもやっと解ったのか」と微笑まれたというのが真相だと話されたのです。そう言われてみれば、この摩訶迦葉という人物は、お釈迦さんの十大弟子(じゅうだいでし)の一人なのですが、その中でもお釈迦さんは、彼を特別扱いしていたようなエピソードも残っているのです。また、お釈迦さんの葬儀(そうぎ)の時も重要な役割を果たし、その後も釈尊教団(しゃくそんきょうだん)で最も重要な位置にいたとされています。にもかかわらず、意外に摩訶迦葉の伝記の詳細は知られていません。それに不思議なことに、摩訶迦葉がお釈迦さんの弟子になった因縁(いんねん)は謎(なぞ)に包まれているのです。
現代に伝わっている話は、お釈迦さんの功績が大きいため、お釈迦さん有利?のお話がほとんどです。しかし、この話を聞いたときに、へぇ~こういう考え方(見方)もあるんだと思ったものですし、謎の多い摩訶迦葉ならば案外本当のことなのかも・・と思いました。お釈迦さんは歴史上あまりにも偉大な人物なので、疑うこともしませんし、まさか!まだ悟ってなかったの???と思っちゃいますよね。
摩訶迦葉は、この拈華微笑の時に、お釈迦さんには大勢の弟子がいたため、お釈迦さんの顔をたてたのかもしれません。悟っている人は、悟った順番(功績=こうせき)が先だろうが後だろうが気にしませんから。ただ現代では、特許(とっきょ)も含めて順番が非常に大切ですが・・・。
今回は、この世に絶対なものはなく、どんなに偉い人、信用のおける人物から聞いた話でも、一度は疑ってみるのもありかもしれないということと、物事は一定方向で見るのではなく、たまには角度を変えて見てみるのもいいじゃないかと思い書いてみました。何より自然は絶対ではないのですから、今ある日常をもう一度考えてみるのも良いかもしれないと思うのです・・・・ちゃんちゃん。