今年の入学式シーズンは、近年では珍しく、桜がちょうど満開になっていましたね。温暖化?の影響なのか、いつもは入学時には散っていましたから。昔を思い出すと、昭和の時代は、入学式に桜が満開だったイメージがあります。なんとなく、過去に戻ったような感じを受けました。錯覚(さっかく)かも・・・?今年の冬は結構寒かったですからね。
この入学式のシーズンを迎えるたびに思っちゃうのだけれど、一年がと~っても早く短く感じるんですよね。まぁ、年のせいなのかもしれませんけどね。
さて、昨年は自粛ムードの中で花見もいまひとつでしたが、今年はどこも大勢の人で賑(にぎ)わったようです。会社がある飯田橋のお堀の界隈(かいわい)も、多くの人で賑わっていましたよ。こんなにも大勢の人に愛される桜。でも桜って、春先の満開の時期にしか注目を浴びず、花が終われば、人々の関心(意識)はなくなるのですから。まるで、夏の夜の花火のように、パァ~ッと咲いてパッと散る。一瞬の輝きの中に消えていく。
この咲いている時(=輝き)以外、他の季節(=とき)は見向きもされないんですからね・・チョット寂しいですよね。この世は見た目しか見ないから仕方がないですね。でもホントは、花が咲いていないときのほうが必要な期間で、地道なときだとは思いませんか・・・・?桜は、普段は見向きもされないけれど、いつか一花咲かせようとただひたすらに、ジっ~と耐えて(?)いるのかもしれません。
このことって、企業や人にもいえるんじゃぁないでしょうか。旬(しゅん=花が咲いている)といわれている時は、いろいろと注目を浴びますが、旬が過ぎれば(=散れば)見向きもされません。
たとえば、ひょんなことで有名になったとしましょう。遠かった親戚(しんせき)がいきなり近くなり、いつのまにか友人も増えていたりします。しかし落ちぶれる(=ブームがすぎる)と、潮が引くように人は去って行くんですよねぇ~これがまた。なんてたって見た目が大事ですヨ、見た目がね・・・中身なんてどうでもいいのですから・・・アハハ。
でもやっぱり大切なのは、何気なく過ごしている普通の日々(=とき=中身)じゃぁないでしょうか。み~んなが当たり前のように毎年咲くと思っている桜も、来年もきれいな花が咲く保証なんてまったくないのですから。条件が整ったとき、はじめて花は咲くんですよね。毎年、満開の花をみていると、咲くことが当たり前のように感じるけど、決してそうではないんですよね。僕らの心は、鈍感になっているのかもしれません。だから桜は、ありふれたこの日常に、鈍感になった人の心(脳)を花の開花で刺激を与えて日々(=なかみ)の大切さを教えてくれているのかもしれませんね。
花が咲いていないときも咲いているときも桜は桜・・・なのにね。そんな桜は、これからも変わらずに、また来年も僕らの心を刺激するために、その内部に、人知れず密かにエネルギーを溜めて準備をしていくのでしょうか・・・。