ひかりの国プロジェクト/その53「昔話(むかしばなし)②」

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その53 「昔話(むかしばなし)②」

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むか~し昔(むかし)、その昔、あるところにこの世のことを何でも知っている先生がいたんだって。そう、前回の昔話の続きなんです。その後の先生の話ですが、少しは変わった話をしてくれたのでしょうか。残念ながら以前と変わらず、ごくごく普通(=あたりまえ)の話をしていたのです。それでも、この先生のもとには、相も変わらず遠くからも、ひっきりなしに話を聞きに来る人が訪れていたのです。不思議ですねぇ~。どんな魅力があったのでしょう。

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ある朝、いつものようにお話をしていました。いくら日常の話が大事といっても、こう毎日聞かされれば飽きがくるってもんじゃぁないですか。古くからいる人はなおさらですよねぇ~。そう、古くから話を聞きに来ている人は、それでもいつか特別な話を聞けるのではないかと期待して、話を聞いていたそうです。でもこの日の話も、何度も聞いたことのある内容だったのです。

「あ~あ、またこの話か・・・」と、古くからいる人はみな心の中で思ったそうです。そのときです。外から鳥の鳴き声が聞こえてきたのです。先生の話を聞いていた人は「あぁ、鳥が鳴いているな」と、フッと思ったそうです。そのとき、先生はこのように言われたのです。
「以前から私の話を聞きに来られている人は、またこの話かと思っていることでしょうね。でもね、同じ話だと思って聞いていれば、そこでその人の心は閉じてしまうのですよ。今、鳥が鳴いたように、日々、瞬間、瞬間に物事は変化していて、同じような話をしているようでも、実は違うのです。それは心が閉じているため、心が鈍感になっているから、微妙な変化がわからなくなっているのです。目が開いて起きていても、心は寝ているんですヨ。そのような心で私の話を聞いても、真実(=あらたなこと)は理解できないでしょう。開かれた心にこそ、真実が訪れるのです」・・・とね。

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僕らって、ごくありふれた日常を送っていると思っているのですが、自然(=まわり)は日々変化しているのですよねぇ~。気づけないのは、僕らの心が鈍感になっているからなのでしょうか?
何か、とんでもないことが起きないかぎり、日々の変化に気づくことができなくなっているのかもしれません。たとえば、自然がキバをむいたときとかね・・・。こうなってしまっては大変ですよね。人々の心が鋭敏になることが可能ならば、まわりの微妙な変化がわかり、その鋭敏な感覚は、災害を未然に防ぐことができるようになるかもしれないし、新たなことを発見することが可能になるのかもしれません。この感覚をチョットでも取り戻すには、自然とふれあうことが大切なのかも・・・ね。

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