「瞑想」・・・って、どんなイメージを持っていますか・・・・? 座禅(ざぜん)のイメージが強くないですか。たいてい胡座(あぐら)をかいて目を閉じてするっていうようなものを想像しますよね。たしかに座禅も瞑想ですが、瞑想ってそれだけじゃぁないんですね。それじゃぁ、瞑想ってどんなものなのでしょうか。
この瞑想っていう字を見てください。「瞑(めい)」は「目」と「冥(めい)」からできています。「目」は説明するまでもないでしょう。「冥」は暗いとか闇(やみ)という意味があります。「想(そう)」は前に書いたように、心の形です。瞑想とは、心の闇に光りを照らしてよ~く見るということなんです。
僕らって、自分の心のことを知っているようで知らないんですね。自分のことを解っているようで実は解らない。禅もヨーガも意味は「瞑想」って前回で書いたのですが、瞑想って、外に意識を向けるのではなく、内(自分)に意識を向けることなんです。で、心(内面)は僕らが思っている以上に暗い闇があるんです。その闇に光を当てることが「瞑想」なんです。
そう、黙(だま)って目を閉じ静かに座っておこなうのが瞑想じゃぁなく、日々の生活の中でリアルタイムに心の動きを観察することが本当の瞑想なのです。
まるで、第三者(他人)のように自分自身を冷静に観察する、もう一人の自分がいるような感じでしょうか。
でもこれって、簡単じゃぁないんですねぇ~。だって、日本に初めてヨーガをもってきた中村天風も、「ヨーガの奥義(おうぎ)は自分を他人のように見ることだよ」って言ってるし・・・。
奥義というのは、「おまえはもう死(し)んでいる」という台詞(せりふ)で有名な「北斗(ほくと)の拳(けん)」みたいに、門外不出(もんがいふしゅつ)で一子相伝(いっしそうでん)というのが奥義ですからね。なかなか外部には伝わらなくて、秘伝中の秘伝が奥義。禅の高僧などは、この瞑想の奥義を伝えようと、いろいろと試(ため)してみていたようですけど。ホント、簡単(かんたん)にできるのだったら、み~んなとっくに悟(さと)って幸せになっていますよね。
あっそうそう、週刊少年ジャンプで大人気の漫画「ワンピース」のなかで、こんな台詞がありましたよ。「我らはまず・・・“内側”と戦うべきだった」そぉ~なんです。内側が大事なんですよぉ~。
でも、チョット違うんですね。何が違うのかって。ホントは、戦っちゃぁいけないんです。これについては、近いうちにお話ししたいと思いますけど、今回はご勘弁。
僕らってたいてい、座禅のように形(=外側)を整えると、何となくやったような気になるけれど、心(=内側)を見ることが、そう内面(心)を意識することが大切なんです。イヤなこと(=暗闇)って、自分の心の中にあって、それらを見ないようにしているのかもしれません。僕らってホント、イヤなことは見たくないですからね。
世の中が停滞している今、企業はこの国内をあきらめて(?)、海外(外)へと向かっていますが、こんなときこそ国内(内側)に目を向けなくてはいけないのでは・・・?外に何かを求めるけれど、ホントの問題は内にあるのでは・・・。他人(ひと)のことを言う前にまず自分を見つめなおさなければ・・・
って大きなお世話?????
自分の心の闇に光を当てて見て、内から真の光が輝きだしたとき、その光(心)は他人にも伝わるでしょう。そのとき、言葉はいらないのです。