ひかりの国プロジェクト/その31「白隠和讃(はくいんわさん)」

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その31 「白隠和讃(はくいんわさん)」

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「白隠和讃(はくいんわさん)」・・・は前号で紹介した白隠和尚(はくいんおしょう)の座禅和讃のことです。今回、白隠和尚のことも含め、もう少しこの座禅和讃に触れてみたいと思います。
白隠さんって、当時はこう謳(うた)われていました。「駿河(するが)には過(す)ぎたるものが二つあり、富士のお山に原(はら)の白隠」。今風(いまふう)に言えば、「静岡県にはスゴイものが2つあるよ。それは、富士山と原(今の沼津市)に住んでいる白隠和尚さん」・・ねっ、スゴイでしょ。日本を代表する富士山と同じなんて、チョー有名人ですヨ。
このチョー有名人になる前の白隠さん、若い頃には今と似たような大災害に遭(あ)っています。「宝永(ほうえい)の大噴火(だいふんか・1707年)」って知っていますか?今から300年ほど前に富士山が爆発(ばくはつ)したんです。噴火のすこし前には、今回の東日本と同じぐらいのM9クラスの東南海地震がありました。このとき白隠さんはまだ21歳の若僧(にゃくそう)です。この宝永の大噴火が、富士山の歴史上最後の噴火となっています。その後の富士山は、現在まで雄大な姿を僕らに見せてくれています。

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また白隠さんは、禅の修行中(しゅぎょうちゅう)に禅病(ぜんびょう=現代のノイローゼ?自律神経失調症=じりつしんけいしっちょうしょう)に罹(かか)ってしまったんですねぇ。禅病って、修行のストレスなのかもしれません。彼の著書(ちょしょ)の『夜船閑話(やせんかんな・1757年刊)』は、この病気にかかり、独特の「内観法(ないかんほう)・軟酥(なんそ)の法(呼吸・イメージ療法)」により治(なお)った体験を記(しる)した本です。若い時からこのように、様々(さまざま)な体験(大災害等)をした白隠さんだから、座禅和讃を作ったのかもしれません。そんな白隠さんが作った座禅和讃を紹介しますね。座禅和讃って現代でも十分通じるんじゃないかなぁ~・・って思うので。

白隠禅師座禅和讃
はくいんぜんじざぜんわさん
- 全文 -

衆生本来佛なり 水と氷の如くにて
しゅじょうほんらいほとけなり みずとこおりのごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の他に佛なし
みずをはなれてこおりなく しゅじょうのほかにほとけなし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
しゅじょうちかきをしらずして とおくもとむるはかなさよ
譬へば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
たとえばみずのなかにいて かつをさけぶごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
ちょうじゃのいえのことなりて ひんりにまようにことならず
六趣輪廻の因縁は 己れが愚痴の闇路なり
ろくしゅりんねのいんねんは おのれがぐちのやみじなり
闇路に闇路を踏み添えて いつか生死を離るべき
やみじにやみじをふみそえて いつかしょうじをはなるべき
夫れ摩訶衍の襌定は 稱歎するに餘りあり
それまかえんのぜんじょうは しょうたんするにあまりあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念佛懺悔修行等
ふせやじかいのしょはらみつ ねんぶつざんげしゅぎょうとう
其の品多き諸善行 皆此の中に歸するなり
そのしなおおきしょぜんぎょう みなこのうちにきするなり
一座の功を成す人も 積みし無量の罪ほろぶ
いちざのこうをなすひとも つみしむりょうのつみほろぶ
悪趣何處に有りぬべき 淨土即ち遠からず
あくしゅいづくにありぬべき じょうどすなわちとおからず
辱なくも此の法を 一たび耳に觸るゝ時
かたじけなくもこののりを ひとたびみみにふるるとき
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし
さんたんずいきするひとは ふくをえることかぎりなし
況んや自から廻向して 直に自性を證すれば
いわんやみずからえこうして じきにじしょうをしょうすれば
自性即ち無性にて 已に戯論を離れたり
じしょうすなわちむしょうにて すでにけろんをはなれたり
因果一如の門開け 無二無三の道直し
いんがいちにょのもんひらけ むにむさんのみちなおし
無相の相を相として 行くも歸るも餘所ならず
むそうのそうをそうとして ゆくもかえるもよそならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法の聲
むねんのねんをねんとして うたうもまうものりのこえ
三昧無礙の空ひろく 四智圓明の月さえん
ざんまいむげのそらひろく しちえんみょうのつきさえん
此の時何をか求むべき 寂滅現前する故に
このときなにをかもとむべき ぢゃくめつげんぜんするゆえに
當處即ち蓮華国 此の身即ち佛なり。
とうしょすなわちれんげこく このみすなわちほとけなり

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意味はだいたいこんな感じです。

僕らは、み~んな仏さんなんだ。ただ、気づいていないだけなんだよ。そう、水(仏)と氷(僕ら)みたいなんだなぁ~これが。だって、水がなければ氷はできないでしょ。ぼくらと仏さんってそういう関係なんだよ。
こんな近くにいいもの(仏)があるのに、なんでわざわざ遠くに行くのかなぁ?水の中にいて、水をちょうだいって言っているようなものだよ。これは・・・。
他人(たにん)から見れば十分幸福(しあわせ)なのに、オレはなんて不幸だと嘆(なげ)いている・・・てな感じ。不幸なことから抜け出せないのは、自分のことばかり言っているからじゃぁないの・・?
嘆いていたってはじまりませんよ。チョット、考えを変えてみよ~よ。そぅ、心をおちつかせるってことは、思いもよらないことがおこるのかも?
人って、寄付(きふ)とかボランティアとかいろんな行いや、反省(はんせい)などをするけれど・・。良いことや悪いことも含めて、全(すべ)てのことは自分の心の中にあるんだよねっっぇ。
この心(のこと)がわかれば、いままでのことは全てチャラにできちゃうんだなぁ。悪い出来事なんかも、本当のことをわかるためだったんだよ。それさえわかれば、実はここが一番ハッピーじゃん。
ありがたいことに、これら心の声を一度でも聞いたとき・・・。感謝(喜び)の思いがでてくるひとは・・ホントッ、ハッピーになれちゃうよ。ウソじゃねぇし・・・。
そうだねぇ、それは自分の心を直接つかむことがキーポイント。それが、秘密の扉を開くんだよ。そして、本当のことがわかるんだなぁ。また、全てのことは自分がつくりだした幻想(げんそう)だと知り、迷(まよ)いごとから解放(かいほう)されるよ。
その真実の扉を開けたとき、そこには原因と結果が一緒に存在する世界があって、その扉に行く道は1つだった・・と知っちゃうんだなぁ・・・・これが。そうなんだ。いろんなかたちで出てくるけれど、あっちとか、こっちとかじゃなく、幸せは今ここにあるんだよ。
そして、いろんな思いが消えて、心が静かになったとき、もうあなたは自由だよ。そのときのあなたは、もう超ぉ~ハッピー・・・で、すべてが美しく見えるのね。
こうなったとき、もう何も求めません。ほ~んと~に心は静かです。いろいろ幸せを追い求めたけれど、
全てがここ(自分の中)にあったんだんぁ~と知ったのです。

超ォ~っ簡単に訳(やく)しちゃっています・・・。(お寺さん・・ (^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^))

ここまでで、皆さんお気づきでしょうが、『白隠和讃』って、童話(どうわ)の『青い鳥』に似(に)
ているでしょ。あの、チルチルとミチルの。幸(しあわ)せは身近(みぢか)にあったなんて・・・ね。

ところで、最近亡(な)くなった、米アップル社のスティーブ・ジョブズ氏・・・携帯プレーヤー「iPod」や高機能携帯電話(こうきのうけいたいでんわ)「iPhone(アイフォーン)」をヒットさせ、IT業界を変革してきたカリスマ経営者も、なっ・・ナント禅(ぜん)を学んでいたのです。禅から閃(ひらめ)きを受けていたのかもしれません。う~ん、恐るべき禅。でも、白隠の臨済宗(りんざいしゅう)ではなく曹洞宗(そうとうしゅう=道元)だったようですが・・。

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