大切なもの・・・皆さんにとって大切なものは何ですか・・・?家族ですか・・・?恋人ですか・・・?それとも、地位(ちい)?名誉(めいよ)?お金ですか?
お金では買えない思い出が大切という人もいますね。僕らにはいろいろな大切なものがあります。もちろん人によって違うとは思いますが。これら大切なものの中で、一番大切なものは何でしょう・・? 一番大切なもの・・それは自分の「命(いのち)」ですか?「命」より大切なものがあるなんてことをよく言いますよね。まぁ、品物(もの)は何とかなるかもしれませんが、命となるとそうはいきません。「命」が無くなれば、感じることができないですし、何もできませんからね。
でも、この「命」って、普段は案外感じて(意識して)いないのではないでしょうか。なぜかって・・・?皆さんは、食事の時、今から食べる目の前の食べ物(肉・野菜)が、食卓に並ぶ前に命があったことを考えながら食べていますか・・・。もし、これらの命に対しても関心を持てるのならば、自分の「(生)命」にも関心をもつようになれるのかもしれません。
ぼくらが「命」をもっとも意識するとき・・・それは、自分に「死(し)」が近づいたときなのかもしれません。死ぬときは、すべてを手放さなくてはなりません。地位も名誉もお金も想い出も・・・。生きているときは、とても考えられないことでしょうけれど。現在(いま)のあなたは、自分の会社だけが大丈夫なら、他の会社はどうなっても良いと思っていませんか?自分の家族さえ良ければ、他人(ひと)は関係ない・・・とか?
でも、少~し考えてみて下さい。たとえば、自分の体を一つの協同体(地球)と思ってみます。自分の体の中で何が一番大切ですか?手、足、目、耳・・・どれでしょう。体の中の臓器(ぞうき)でも同じです。心臓(しんぞう)、肝臓(かんぞう)、腎臓(じんぞう)、膵臓(すいぞう)どの臓器が欠けても困りますよね。ねっ、欠けたら皆が困るのです。どれも大切なものなのです。僕らにはいろいろ大切なものがあるのですが、ただ、僕らの大切なものとは、たいていは個人的なもので、全体的なものではありません。個人的な大切なものには「何か」がつくのです。それは、何だと思いますか・・・?
それは「私(わたし)」・・・という「我=エゴ」です。また、「私」は「枠組(わくぐみ)」を造り出します。どれも、私の会社、私の家族、私の思い出の品、私が住んでいる地域(地元)・・・・ネッ「私」が造った枠組みものでしょ。
では、自然は誰のもの(枠組)でしょう。太陽は・・・誰のもの?私の太陽、私の月、私の海とは言わないですよね。私は枠組を造りますが、自然は枠組を造りません。また枠組の無い自然(災害)は残酷です。
だって、わたしが造った地位も名誉も財産も思い出も全て流してしまうからです。自然(災害)は、枠(わく)など無いため誰にでも起こりうる可能性があり、時には「(生)命」さえ流してしまうこともあります。それでも、僕らはこれら(=自然)を否定(ひてい)することができないのです。そして、この「わたし」という枠組みを外す自然が、他人(動植物)を思いやる心(慈悲)を心の奥底から引き出すのかもしれません。そのとき、「安寧(あんねい=世の中が平穏無事なこと)」が訪れるのかもしれないのです。そう、僕らにとって、大切なもの(枠組)がなくなったとき光(ひかり)があらわれるのかもしれません。