ようやく春らしい気候になり、もうすぐ田植えの季節も始まります。天候に恵まれて、秋にはたくさんのお米が実るといいですね。
さて、「実(みの)る(稔る)ほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂(いなほ)かな」・・ですが、この句は、誰が詠んだか確かではありません。稲穂は実れば実るほど穂先(ほさき)を垂れ、頭を下げることから、君子(くんし)は学識や徳行が深まるほど謙虚(けんきょ=ひかえめでつつましやかなさま)になるものだということを表しているそうです。地位が上がっても、謙虚に生きなさいという戒(いましめ)として使われています。地位が上がると、人間のエゴ(傲慢=ごうまんさ)が出てきて頭をたれるどころか、ふんぞり返る人が多いのも確かですよね。それに、人って、知識をつければそれをひけらかしたいと思うようです。稲穂のように、実(知識)をつければつけるほど謙虚になることができるのなら、争いごとも少なくなるのでしょうが・・。この「謙虚さ」が、今は必要なのかもしれません。
謙虚な人とは、「私は何も知らないということを知っている人(無知の知(むちのち)・・byソクラテス・ギリシャの哲学者)」のことを言うそうです。僕らは、この世界のことを知っているようで知らない。なぜ世界は存在するのか、宇宙の果てはどうなっているのか、どうして生まれてきたのか・・・等々知らないことが山ほどあります。物事を突き詰めれば、こんなにも奥の深いものだったんだと思うことがありますし、その世界の達人のすごさもわかります。
たとえば、囲碁(いご)や将棋(しょうぎ)の世界でもそうですが、子供の頃は相手の強さがどのくらいのレベルなのかはわかりません。プロなどが、とてつもなく強いということはおぼろげながらわかるのですが・・。自分の実力がついて、強くなればなるほど、不思議なことに相手の実力がわかってきます。なんと、スゴイのだろうと・・。とてもここまでは到達できないとか・・ね。
陸上の100メートル走でも、10秒を切ることが、どんなに困難ことなのかは走ってみればわかりますし、ウサイン・ボルト(現100㍍世界記録保持者)と並んで走ることができるなら、もっと良くわかります。そう、同じ土俵(仕事等)にたて(れ?)ば、相手の偉大(いだい)さがわかるものです。
子どもの頃は、いろいろなことが簡単にできるんじゃないかと思っていたけど、大人になると土俵は限られてくるし、だんだん限界が見えてきたりして・・・。でも、それを知るのが悔しい?(認めたくない)
から言い訳(愚痴=グチ)だけはどんどん増えていく。言い訳ばかりしていると、学ぶことをしなくなります。
僕らって、実は何にも知らない。自分のことも、相手のことも、家族のことも、知っているようで知らない。放射能(ほうしゃのう)のことも、農業のことも、ましてや、自然(地球=ほし)の事などもっと知らない。自分は何にも知らないんだ・・ということを知った(自覚=じかくした)とき、知るための勉強(行為)をするのかも・・・?そして、やればやるほど(知れば知るほど)、稲穂のように頭を垂れる謙虚さが出てきて、真の豊かさ(実り=感謝)を実感するのかもしれません・・・ネ。