「自然」・・・僕らは、自然を普段から意識しているでしょうか・・?自然は、「自(みず)から然(しかる)べし」と書くように、まさしくそのままあることが自然です。あまりにもあたりまえすぎて、何か特別なことが起こらない限り、気にとめることが無いのでは・・・?都会にいると、自然は、空気のように目に見えないものになっているんじゃないかと思うのです。
普段は空気のように意識していない自然ですが、近頃は意識させられていませんか。1年前の大震災や夏〜秋の記録的な豪雨(ごうう)。世界陸上やオリンピックならば、記録が更新(こうしん)されれば喜ばしいけれど、スポーツの記録と違って、自然災害がちょくちょく記録を更新するのは、どんなものなのかなぁ~と思うのです。日本だけでなく、世界的にも記録的な猛暑(もうしょ)や干ばつ、豪雪(ごうせつ)・・・・ふぅ~やれやれです。
自然のバランス(秩序=ちつじょ)が崩(くず)れてきているのかもしれません。このままだと、どうなるのでしょう。グローバル化で世界はどんどん狭くなるし、各地で民主化の波が来ているじゃぁないですか。だれもが裕福になりたいと思っていて、皆が車やエアコンなどを持ち出したら、原発が世界でどれほど必要になるのか。森林を育てる?より、開発(破壊=はかい)するほうが遙(はる)かに早いし・・。だから自然は、自らの生態系(せいたいけい=秩序)を維持(いじ)しようと、僕らに災害をもたらすのかもしれません。
10年以上も前に、ある方から次のような話を聞いいたことがあります。
人の思考で造(つく)り出せないもの(=自然)がおかしくなったら、それはある種の警告(けいこく)なんですよ。自然(=動植物)も人の体も、想いでは造ることができないんです。もし、何か正しさの基準があるとしたなら、思考で造り出せないものが正しいんじゃないか。体が病気になったら、その人の生活の仕方がどこかおかしいのかもしれないし、自然が何かしらの災害等をおこしたのならば、この世界(文明)がどこか間違った方向に進んでいるんじゃないのかな・・・。
そして、これら思考では造り出せないものこそが、「愛」なんです。「愛」=は「秩序(自然)」なんです。そして、「愛」は本来、恨(うら)みを残さないんですね・・。「愛」と「愛情」は違うんです。「情」は恨みをつくりますが、「愛」は特定の何かに向けるものではないので、恨みをつくりません。普通はこの「愛情」を「愛」と勘違(かんちが)いしているんですね。もしも、人から何かをされれば、仕返(しかえ)しをしてやろうと、恨みを持って憎(にく)しみの連鎖(れんさ)が始まるけれど、自然からのもの(災害など)はたいていの人はあきらめます。
自然とは一部分ではなく、全てのことをいうのです。だから、自然災害がおきたところだけではなく、そのほかのところも考えてほしいのです。自然災害が起きると、人々は協力し合い、憎しみの連鎖を断ち切るのだから・・・。自然は厳(きび)しいけれども、この厳しさも含めて、自然は「愛=秩序」ということに、みんないつか気づくんじゃないでしょうか・・・、
こんな風な話が、とても印象(いんしょう)に残っています。
僕らは、自然に恨みごとを言っても、この大地(自然)がないと生きていけませんよネ。当たり前すぎて、普段は気にもしないのですが・・・。他にも、僕らって、会社(上司)の悪口や他人の悪口を言っていますが、悪口を言う会社がなくなれば生活に困るし、健康だから、あれやこれやの不満も言えますからネ。不満が増えて、災害が増えている現代(いま)って、「愛=自然」を自覚させる時代(とき)なのでしょうか・・・。