「想念(そうねん)」・・・は、心の中に浮かぶ考えのことで、想(おも)いともいいます。僕らの世界は、この想いが現実化したものです。人は、車や飛行機・電化製品など、こういうものができたらどんなに便利だろうと想い、それを実現させてきました。これらの文明の利器は、最初は人の想い「想念」からスタートしたのです。
「想念」を分解してみると、想念の「想」は「相(そう)」と「心(こころ)」で、「念」は「今」と「心」からできています。手相(てそう)・人相(にんそう)で使われているように、「相」とは「形(かたち)・型(かたち)」を表しています。手相は手の形、人相は人(顔)の形です。占(うらな)い師は、これらの形(相)をじっくり見て判断します。ですから、想は心の形を表します。念は今(現在)の心のありようです。「想念」とは、今ぼくらが思っていることが、形(現実)となってこの世に作り出されることをいいます。
また想念は、最初に書いたように「想い(思い)」です。「想い」は「重(おも)い」につながります。何故かって・・・。それは、いろいろなことを考えると、疲れてきませんか・・・?
頭が重くなって、体も重くなる。考え(想い)すぎると、本当に重たくなるのです。そして、この重いが強すぎると、羽(は)ばたけなくなります。「想い」が、地球(ほし)の「重力(じゅうりょく=ちから)」に縛(しば)られてしまうみたいです。
前回、ヨガについて触れたのですが、ヨガにはこの心の思い(我=エゴ)を軽くする力があるみたいです。あまりにも考えすぎると、逆に良い知恵が浮(う)かばなくなってしまいます。この強すぎる想いを、少しだけ軽くすればよいのですが・・。
浮くのは、想いが「軽い」から「浮く」のです。軽~くなれば、心が地球の重力から離れ、「宇宙(うちゅう=浮中うちゅう)」からの知恵がくるようです。それが「閃(ひらめ)き」です。「人」が「門(扉)」を開けて、その想い(古い考え・しがらみ)から抜け出たから、文明は発達したのではないでしょうか・・・・?
宇宙飛行士のように、人類全員が宇宙に行くことができるとしたら、国境(枠組み・柵=しがらみ)などの地図にかかれた線が無いことを、頭ではなく体で実感でき、今までのいろいろ詰まった想いが、無く(軽く)なるのかもしれないのです・・・。想いが軽くなったとき、自然には、人が引いた枠組み(線)など無いことに気づくことができるのかもしれません。