莫妄想・・・「莫」は「~するなかれ」という意味で、「莫妄想」は「もうぞうするなかれ」という意味になります。「もうぞう」って濁音(だくおん)があり、なんとなく仏教っぽく聞こえるでしょ。これも前回に続いて、仏教(ぶっきょう)の禅宗(ぜんしゅう)で言われている言葉なのです。現代なら「まくもうそう」って濁(にご)らないのかもしれません。
昔から、お坊(ぼう)さんが「妄想するんじゃないよ」って言っていたのですが、今も変わらずぼくらって、常日頃(つねひごろ)妄想しているんじゃないかな~って感じがします。起こりもしない心配事、やってもいないのに結果を恐れる等々、まだ起きてもいない事に妄想を抱(いだ)いています。軽い神経症みたいなものでしょうか・・・。体調の変化にしても「胃がキリキリする。俺はガンかもしれない」と思ってみたり、テレビの健康関連の番組で当てはまることがあると「俺はもうだめだ~ぁ」なんて、落ち込んでみたり。そうかと思えば、かなり症状が出ているにもかかわらず、「気のせい、大丈夫だ」と自分自身を納得(なっとく)させたりして・・日々妄想しています。
あるとき、町でキレイな女性からジッと見られ、こちらが目を合わせると恥(は)ずかしそうに顔を背(そむ)けたのです。ひょっとしたら自分に気があるのではと思い、勇気を持って声をかけたところ、パンツの方を指さして、「開(あ)いていますよ」・・・だって。自分に気があると思ったのは勘違(かんちが)いで、単なる妄想でした。
他には「ヒーローになる」「金持ちになる」とか夢(妄想)ばかり大きくなり、現実を見なくなって、努力もしなくなる。妄想がひどくなる(誇大妄想=こだいもうそう・被害妄想=ひがいもうそう)と現実逃避(げんじつとうひ)をしたりします。まぁ、たまには気持ちのいい妄想もいいかなぁ~とは思いますが・・・・。
このように、ぼくらは常に妄想するクセがあります。事実だけを見て、事実に色をつけない。みんな、この色をつけるのが好きなんですね。色をつけないことは「あるがまま」ということですよね。この世は、あるがままより、あるだろう・あるべきだ、で動いています。たとえば予測もそうですが、景気予測・消費予測・・等々。予測はあくまでも予測ですし、これに囚(とら)われてしまうと、事実を見ることができなくなり、確実な対応が出来なくなってしまうのです。主観(しゅかん=妄想)ではなく、客観(きゃっかん=現実視)できるならば、答えも自然に出てくるでしょう。
禅ぜんでは、この妄想に囚われることなく、今ある(来る)ことだけに対処(たいしょ)せよと説
(と)いています。人は妄想しますが、自然はあるがままで妄想ではないですし、雨は雨、台風は台風・・・現実なのです。自然は非常に厳(きび)しいもので、人の妄想など、どこかに吹き飛んでしまいます。危険ならば即(そく)逃(に)げろです。
「ここは大丈夫......」「俺だけは死なない........」なんて妄想していると、逃げ遅れてしまいますよ。災害など非常時の妄想は大変危険です。事実をあるがままにとらえ、それに対応しましょう。あーでもない、コーでもないと言っている暇(ひま)があったら行動し(逃げ)なさいってね。自然を相手に妄想は通用しませんし、むしろ自然は、僕らを妄想から断ち切って、解放してくれるのではないかと思っています。
田植えの時期には田植えを、肥料をまくときには肥料を・・・。季節を感じて、やるべき時にやる。心配(妄想)したり、変化することを恐れずに今やるべき事をやるしかないのでは・・・・。自然は常に変化しているのですが、人の心だけがいつまでもこうあってほしい、変わりたくないと妄想するのかもしれません。