「鬼門」って最近では使われないかもしれませんが、鬼門は方位のことを指します。
字のごとく、陰陽道(おんみょうどう)では鬼(おに)が出入りする方角ということで、この方角は忌(い)み嫌(きら)われています。またその逆で、神々が通り抜ける方角のため、清らかにしなければならないという考えもあります。方角は、北東(丑寅=うしとら)が表鬼門(おもてきもん)で南西(未申=ひつじさる)が裏鬼門(うらきもん)といわれています。
陰陽道は、映画にもなっている平安時代の安倍晴明(あべのせいめい)が有名ですが、これら陰陽道と結びついてこの方位は恐れられています。どうしてこの方角が忌み嫌われ恐れられているのでしょうか。
その前に今回の大地震を含めて、ちょっと気になることがあります。大地震の前に、新燃岳(しんもえだけ/宮崎・鹿児島)で噴火(ふんか)があったのを覚えていますか。地震があまりにも大きかったために忘れられてしまっていますが・・・。鬼門というのができたときは、京都・奈良がこの国の中心でした。イラストのように、京都・奈良を中心に線を引くと、宮崎・鹿児島あたりが南西の裏鬼門で、地震があったのは東北でしたから、まさしく表鬼門にあたりませんか・・・・?ちょうどこの両鬼門から日本が挟(はさ)まれ揺(ゆ)さぶられたという感じでしょうか。裏鬼門の新燃岳・・。新たに燃えることを預言(よげん)したかのように原発問題(燃焼)を含め、日本中、火がついたような騒ぎになっています。
ところで、この鬼門といわれる方角ですが、自然が豊かな方角だと思いませんか?もともと日本列島の形もこの鬼門の方向に伸びているように見えます。鬼門の方角である宮崎県の高千穂(たかちほ=裏?)や、岩手県の遠野(とおの=表?)は、神様や妖怪の話が数多く残っている伝承の地。神や妖怪も、見えないものとして恐れられている代表的なもの?です。「鬼門」が忌み嫌われ恐れられていたのは、神・妖怪を自然の象徴(しょうちょう)としてとらえ、自然の恐ろしさを表していたからなのかもしれません。
恐れられる一方で、恩恵(おんけい)もあるのも事実です。自然の事を学ぶといろいろなことがわかるため、時の政権は民衆を操(あやつ)るため、この方位を「鬼門」と呼ぶことで、妖怪とか神が出入りするところと民衆に信じさせ、真実(=恩恵)を隠してきたのかもしれません。自然災害等から何かを学び、自然を解き明かすことで、民(たみ)がかしこくなることをおそれていたのでは・・・・。
「鬼門」の方角の「忌み嫌う」の「忌」、葬式のとき、家に「忌中(きちゅう)」という張り紙をしますね?
「忌」という文字は、「己」と「心」でできています。人が亡くなると、財産争いとか隠(かく)されていた諸々の問題が出てきます。たいていの人は、エゴがむき出しになります。そのとき、自分自身(己)の心の中を見るよい機会なのかもしれません。それで、「忌中」と書かれているのではないでしょうか・・・。
予期しない出来事がおこった時、平常時ではないときこそ、真価が問われます。天災を含め、何か大切なものを失ったとき、自分自身(忌)を見直す機会なのかもしれません。
まだ続いている余震(よしん)を含め、私たち自身が地震によって、揺さぶられています。自然は僕らに何を問いかけ、何を学ばせようとしているのでしょうか・・・・。
余談ですが、『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』で知られる滝沢馬琴(たきざわばきん)は、昔話の『桃太郎(ももたろう)』が鬼門を表しているという説(せつ)を言っていたとか・・・・。また、東北の東松島市の旧地名は宮城県桃生郡(ものうぐん)だし、石巻市にも桃生町(ものうまち)という地名がありました。