ひかりの国プロジェクト/その38「瞑眩(めんけん)」

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その38 「瞑眩(めんけん)」

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「瞑眩(めんけん)」は、東洋医学(とうよういがく=伝統医学)で起きる「好転反応(こうてんはんのう)」のことで、もとの言葉は漢方用語(かんぽうようご)と言われています。好転反応は、体にたまっているストレスが体外に出てくるときの反応を指しているようです。今はやりのデトックス(detox・体内にたまった毒素や老廃物を取り除く)も、瞑眩みたいに言われていますが、どうなんでしょうかね。

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漢方の好転反応は、漢方を飲んだときに効き目が体のなかで反応し、それがまるで悪化したように見えるのですが、実はそれは体の免疫力(めんえきりょく)が活発になっているために起こった反応で、良くなる過程の“毒出し”のようなものだと言われているんですね。でもこの見立て(診断)は難しく、逆に薬が合わなくて本当に悪くなっている場合もあるんです。

前回書いた心療内科(しんりょうないか=ストレス)を含め、今はいろんなところで漢方の薬を出しますが、瞑眩の見立てはかなり経験のある漢方医でないと判断ができないとされています。手術(しゅじゅつ)と同じで、数をかなりこなさなければならないんですね。まぁ数をこなしても、見立てができるとは限りませんが・・・。

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この反応が出たときは、漢方の量を調整(匙加減=さじかげん)するようです。今の漢方製剤(かんぽうせいざい)は、決まった分量が袋に入っているのでさじ加減ができませんが、生薬(しょうやく)を扱(あつか)っているところでは可能でしょうね。でも生薬を煎(せん)じるのはかなりテマがかかるし、お金もかかっちゃうのが難点(なんてん)なんですよね。

料理の味が、ほんの少しの調味料の加減で変わるように、漢方薬も同様なんですね。チョットの違いで効き目が違うんですよねぇ。料理もいろ~んなスパイスを使うし、その分量もまちまちですよね。薬だって同じです。僕らの体も人それぞれで違うから、薬の分量や調合(ちょうごう)も違って当たり前なのに、何故(なぜ)か同じなんておかしくありませんか。みんな同じ(平均)なのは、そのほうが楽だから・・・でしょうか?平均(中流)好きな僕らですからね。

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昔の薬学の教科書には、「薬の分量は徐々(じょじょ)に調整しよ~ね」と書かれていたそうですが、今の薬(新薬)は、分量を間違えば即(そく)死んじゃいますからね。たぶん生薬の時代は違っていたのでしょうね。とはいえ生薬も分量を間違えば危ないのでしょうけれど。

ちなみに漢方は中国の「中医学」をもとに日本で発展した医学で、中医学と日本の漢方とは若干(?)の違いがあるんですね。同じ薬でも、使われる生薬の種類や量が異なるものもあるみたいです。呼び方も、日本では伝統医療は「漢方」、その薬は「漢方薬」。中国では伝統医療は「中医学」、薬は「中薬」。韓国では「韓医学」「韓薬」となるようです。呼び名が異なるこの伝統医療の薬、最近では、新薬の代表選手ともいえる抗(こう)ガン剤(ざい)の副作用(吐き気等)をやわらげることに、成果をあげているようですね。

それにしても、昨年から今年の自然災害は、この地球(ほし)の好転反応(瞑眩)なのでしょうかねぇ。ヒョットしたら停滞している経済も、良くなる前の“好転反応”なのかも・・・・ってそんなわけないかぁ。

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そうそう、1800年前の中国に、華陀(華佗=かだ)と呼ばれた名医がいたんです。華陀は薬学(やくがく)・鍼灸(しんきゅう)の天才だったようで、初めて麻酔薬(ますいやく)「麻沸散(まふつさん)」を発明したといわれていて、民衆(みんしゅう)から「神医(しんい)」と呼ばれていたんです。こんな名医が今の世にいたら、この社会にどんな薬を処方(しょほう)してくれたんでしょうかねぇ。それとも自然(だいち)を守るために、麻酔薬で社会を麻痺(まひ)させるのかなぁ。もしかしたら「華陀」という名医(めいい)は人ではなく“自然”のことで、僕らに気づかせるために、今はあえて好転反応(瞑眩)を起こしているのでしょうか・・・・。

※華陀の発明した麻酔薬「麻沸散」は、木の実を食べて命を落とした華陀の息子「沸(ふつ)」からつけたそうです。その木の実は適量(てきりょう)だと麻酔効果があったのです。日本の名医・華岡青洲(はなおかせいしゅう=日本の麻酔発明者・全身麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」)も母を人体実験で亡くしていますし、なんか似ていますよね。
※正月に飲む屠蘇(とそ)も華陀が作ったと言われています。

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